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            | 2010.04.08.THU |  
            | 「気骨シリーズA」 
 そこにあったのは遠目から見ても隠しようのない丸出しの気骨を全面におしだした昔ながらの古風な一戸建て、魚屋以外の何物でもない完全なる頑固一徹魚屋である。
 
 早朝の河岸、競り、飛び交う怒号、海、潮風、荒波、なびく大漁旗、男衆、一升瓶、涙、なんてなイメージがポンポン浮かんでくる佇まいである。
 が、店の正面、真ん中、一番人目につく平台の上最も目につく所に“オイシイヨ!!七ヶ140円”の手書き短冊を掲げた春のお野菜、新ジャガのザルなんぞを鎮座させていたりと古老ならではのチャーミングな一側面をのぞかせるあたりもあなどれません。
 
 
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            | 2010.04.02.FRI |  
            | 「気骨」いい言葉である。 
 無骨な昭和の息吹きを感じさせる字面も、キ・コ・ツというシャープ&スリリングな響きもすこぶるるいい。
 
 サイコーである。
 
 そうそう長くはない我が人生、生涯通して持ち続けたいものの上位にランクインするもの、それが気骨である。
 気骨気骨と気骨について思い巡らしたりキ・コ・ツと発音してみて甘美な響きに酔いしれたりしつつ街をフラフラしてると気骨者同胞同士、気骨者シンパシーというようなものをビシっと感じる事があり、ふとその気配のある方に目をみるとやはり気骨を全面にバァーンと押し出したモノが堂々たる勇姿をさらしていた。
 
 モダン化マイルド化コ洒落化が顕著に進む昨今の時流に反旗をひるがえすべく「ナニをぉしゃらくさい、風呂屋とはこういうもんじゃい」と人通りまばらな商店街にドォーンと門戸開放している気骨剥き出しの風呂屋がそこにそびえたっていた。
 
 『嗚呼友よ、今日も行け。』
 
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